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一瀬准教授が続ける。「米ソの大気圏内核実験からの放射性降下物は、1949年から日本にも届き始めました。63年に米英ソの間で部分的核実験禁止条約が締結されると、地下を除く核実験が禁止されましたが、中国やフランスは それに加わらず、70年代にかけても両国の核実験から放射性物質が降りました。が、やはり凄かったのは60年代前半で、日本人の体内セシウム137の量が 大幅に増えたことも確認されています。今回の福島の事故で、関東地方でも放射性物質が雨とともに降下しましたが、必要な警戒さえすれば、核実験の際と比 べ、内部被曝も健康への影響がない範囲で抑えられると思います」
具体的な数値には少しずつ触れるとして、実は、こうした研究は一瀬氏のオリジナルではない。基礎になるデータを収集していたのは、気象庁気 象研究所で、「米ソの核実験が盛んになった1950年代から、塵や雨に混じって地表に落ちてくる放射性降下物を、2メートル×1・2メートルの水盤で採取 し、その量をーカ月ごとに計測してきました。計測地は東京の高円寺、80年代からは茨城県つくば市で、観測してきた降下物はセシウム、ストロンチウム、そ してプルトニウム。観測記録は世界最長です」と、同企画室の広報担当者は胸を張る。
ちなみに今回、各所で多く検出されている放射性ヨウ素は、半減期が8日と短いため、月単位 のデータ収集には馴染まないそうだ。話を続けると、「米ソが大気圏内の核実験を繰り返していた60年代までは、たしかに東京における放射性セシウムの降下 量は、今回、福島の事故が起こる前までの1000倍以上の数値でした」
それどころか、たとえば63年8月に東京都中野区で計測されたセシウム137は、1平方メートル当たり548ペクレルだったが、90年代には50ミリペクレルに満たない月がある。ちなみに、ベクレルは放射性物質が1秒間に出す放射線の量。そこに“ミリ”が付くと数値は1000分の1になるので、両者の間には1万倍もの開きがある。つまり、高度経済成長真っ只中の東京であなたもまた、平時の1万倍にも上る放射能を浴びていたのである。
(後略、週刊新潮4月14日号、P24-P25から抜粋)